というのはわりと事実だと考える。なので、気分に行動を合わせると
となる。
気分を行動に合わせると、行動までもコントロールできなくなってしまう。
ならば、気分や感情はすべて無視した方がいいのだろうか?
そのあたりはまだ直感的にバランスを取れないし、腹落ちする論理も手に入れていない。
そのあたりの葛藤や提案など。
感情を押し殺してきた
感情を押し殺してきた。自己否定の天才だった。
それを続けていたら10代で潰れた。学校にいけず、病院に通い、薬を飲むなどした。
回復していく過程で、自分の感情を大事にしようとしてきた。
自己否定ばかりのわたしに取ってそれはとても難しかったが、どうにか自己肯定感のようなものを手に入れていった。
めんどくさいとき、
というように自己否定していたのだが、
そんな風に自分で自分に声がけしてきた。
感情を優先すると行動が疎かに
自分で自分へ優しい声掛けを続ける効果はあり、メンタルの調子はよくなっていった。
しかし、そうすると、
行動が疎かになってしまうことが多々ある。
最近は、
このパターンAとパターンBは、誰もがなんとなくバランスを取りながら過ごしていると思う。
わたしの場合、パターンBの割合は多くなったが、パターンAが全くないわけでもない。
そして、AとBどちらのパターンを選ぶのかは、そのときの気分によって変わってしまう。
行動が気分に飲み込まれがちなのだ。それはあまり健康的ではないと感じる。
「めんどくさいからやらない」だけではうまくない気がする
行動が気分に飲み込まれてしまうと、行動がコントロール不可能(気分はコントロールできないので)になる。それは、わかりづらいけど、こちらを蝕んでくるようなループを感じたりする。
- Cさん:「めんどくさいからやらない」を選択し続けた
- Dさん:「めんどくさい」けどやれる範囲でやり続けた
上記では、後者の方が幸せに近い気がするのだ。
ならばどうすればいいのだろうか。
わたしの場合、感情を大事にしてきたことで、メンタルが安定してきたのは事実である。
しかし、感情を大事にするあまり行動が疎かになりがちであるというのも事実である。
ならば、「感情を大事にしながら行動する」ということができたら幸せに近づくだろうか。
感情を大事にしながら行動するには
例として「勉強したい(しなければいけない)が、めんどくさい」で考えてみる。
大まかには2択。勉強をするかしないか。
しない場合は「めんどくさいからゆっくりしよう。めんどくさいと思ってもいい」みたいな感じで終わる。
どうにか勉強をしようとする場合考えられるのが3パターンある。
- 感情を否定する:「めんどくさい」に対して「めんどくさいって思う自分なんてダメだ」と考える。
- 感情を無視する「めんどくさい」に対して「めんどくさいなんて思っていない」と考える。
- 感情を認めて放置する:「めんどくさい」に対して、「めんどくさいと思っているな」とまずは認める。「めんどくさいと思ってもいい」と認める。「めんどくさいけど、ほんのすこしだけやってみない?」なんて考えてみる。
①や②を続けてわたしは潰れたので、③を推奨したいと感じた。
まとめのようなもの
「気分はコントロールできない」ので、気分に行動を合わせると「行動はコントロールできない」
それでは身動きしづらくなるので、
「行動は気分に引っ張られる」しかし「引っ張られているという自覚があれば、気分に関係なく行動できるようになってくる」
というマインドを認識していると希望が広がっていくのではないだろうか。